6/24

厳しい基準自体は繊細な美的感覚に由来するが、厳しい基準を守るために発動される厳しさは頑固剛直で、しばしば攻撃性を帯びる。
スペインや南米などラテン系の国でヴィジュアル系がウケるのはどういうことなのか
エニアグラムといったパーソナリティ診断は,厳密には「診断」ではなくて「分類」ではないか。分類は,何か隠れたものを明らかにするのではない。ある言動や思考を持つ人間に,名前を与えただけだ。「名付け」は定義だから,いつでも正しい。
では,そういう定義の妥当性はどうやって判断されるのか?我々の心が判断するのか?それでもよいが。
しかし「複数の異なった言動・思考を,1つのラベリングでまとめあげる」ことの妥当性は,どこにあるのだろうか?

同様のことは身体疾患の診断名についても言えるかもしれないが、身体疾患の診断については病気の一連の物質的な過程を因果的に説明できる(できそう?)という点で性格診断よりも厳格だ。

では物質的過程の一意性が言えないのであれば,対応する疾患名を作り出してはいけないのか?あるいは,現在存在する各々の精神疾患について,対応する身体内の物質的過程の一意性は言えるのか?(うまくいってないからみんな困ってる)

容姿・性格・能力の個性的でバラエティに富んだ漫画のキャラクターの本質は,漫画という媒体に依存している。アニメ化すれば声優の個性に依存する。そういうわけで,アメコミに比べて実写化との親和性が低い。漫画の場合,ストーリーもそうだ。唯一無二で汎用が効かない。

普通の人は,メッシやロナウドのように,ハードワークせず,普段はのんびり歩いているのではないか。
人はふつう,怠けてぼーっと頭が回転していない状態にあり、体力を何に使うか選り好みすることで費用対効果をあげているんじゃないか(興味を惹かれたものにガーッと投資する)。一方,自分はどうか?
社会は半自然だ。人為的介入による改変は確かに可能だが,それは個人によるコントロールからは離れていて,意思決定によるものではないあら難い傾向がつけられる。流れをなす。

学校で教えられた筆算は1の位から10の位へとのぼっていが、暗算するときは大きい位から計算したほうが楽だ。

数はたくさんあるけれど

1から9まで知ってれば

どんな数でも書ける求まる

おっと0さん忘れずに

記数法と演算規則が、数の無限の存在を、類推させる。数を無限に構成する。

我々は「物体の個数」を扱っているのではないし、それどころか、「数そのもの」ではなく……記号を扱っているのかも知れない。

自然数の無限だか素数の無限だかを言ったユークリッドの時代に記数法や演算記号は存在していたっけ?)

日本語では基本的に口と舌を同時に動かすが,英語は口を固定して舌だけ動かすことがあり得る。

中高生向け学習アプリを作るとしたらどうデザインするか(プログラミングの話ではなく)を考えています。

いわゆる「地方」生活者?の学歴による収入差が歴然で、かつその人数が多ければ,商機はあるのだろうか。塾の存在しない地域,塾はあるが世帯収入の関係で通えない子供の分布,を知ればいい。